「今日売れ残った1部屋は、明日には0円になる」
この言葉を耳にして、背筋が凍るような思いがする旅館経営者はどれほどいるでしょうか。
あるいは、「まあ、商売だから空室が出ることもあるさ」と、どこか他人事のように受け流してしまうでしょうか。
もし後者であれば、その宿は大きな機会損失を垂れ流し続けている可能性があります。
製造業であれば、今日売れなかった製品は倉庫に保管し、明日売ることができます。スーパーの刺身でさえ、夜に値引きすれば翌朝の惣菜材料として価値を残せるかもしれません。しかし、旅館というビジネスは、これらとは根本的に構造が異なります。
旅館が売っているのは、単なる「食事」や「布団」というモノではありません。「特定の日の、特定の空間」という、二度と戻らない時間そのものを販売しているのです。
今回は、旅館経営の成否を分ける「収益管理(レベニューマネジメント)」の本質について、深く紐解いていきます。
1. 旅館業は「時間」と「空間」の切り売りである
旅館の本質を問い直してみましょう。
お客様はなぜ、あなたのお宿にお金を払うのでしょうか。
温泉があるから、料理が美味しいから。もちろんそれらは重要な要素ですが、経済的な側面から見れば、お客様は「今日という日の、この部屋で過ごす権利」を購入しています。
1月1日の101号室は、1月1日にしか売れません。1月2日になった瞬間、1月1日の101号室という商品は、この宇宙から永遠に消滅します。
「稼働率」という数字の罠
多くの経営者が「昨日は満室だった」「今日は半分しか埋まっていない」と、稼働率の数字に一喜一憂します。しかし、稼働率を追うだけの経営は「数合わせ」に過ぎません。
「時間の制約」を意識した瞬間、経営の視点は進化します。
- 「いかに部屋を埋めるか」ではなく、
- 「この限られた時間を、いかに価値最大化して提供するか」
このパラダイムシフトこそが、収益管理の第一歩です。
2. リソースには「絶対的な上限」がある
旅館ビジネスの最大の特徴であり、かつ残酷な制約は、「在庫の上限が物理的に固定されている」ことです。
売上の天井は決まっている
製造業なら、ヒット商品が出ればラインを増設したり、24時間フル稼働させたりして増産できます。しかし、20室の宿が、当日予約が殺到したからといって30室売ることは物理的に不可能です。
「限られた在庫」の奪い合い
売上の天井(キャパシティ)が決まっている以上、収益を伸ばす方程式はシンプルです。
「客室単価(ADR) × 稼働率(OCC) = 客室収益(RevPAR)」
天井が決まっているからこそ、1室あたりの販売単価を1,000円、2,000円と高める努力が、ダイレクトに総売上の差として現れます。
1日2,000円の単価アップが20室、年間365日続けば、それだけで1,460万円の増収です。このインパクトを無視して経営を続けることは、もはやリスクと言わざるを得ません。
3. 在庫の「消滅性」という最大の恐怖
宿泊商品は、世界で最も「足が早い」商品です。
繰り越し不可の冷徹なルール
今日売れ残った1室を、明日まとめて2室分として売ることはできません。昨日の空室を取り戻す術は、この世に存在しないのです。
価値の蒸発
日付が変わった瞬間、その部屋の販売価値は「0円」に確定します。
昨日の夜、2万円で売れたかもしれない部屋が、翌朝には無価値な空間へと変わる。この「価値の蒸発」を最小限に食い止めること、つまり「売るべき時に、売るべき価格で、売るべきお客様に売る」ことこそが、収益管理の至上命題なのです。
4. 利益を出しやすい「高固定費・低変動費」の構造
なぜ、ここまで1部屋の重みにこだわるのか。それは旅館業の損益構造に理由があります。
旅館経営は、建物のローン、固定資産税、光熱費、そして何より大切なおもてなしを支えるスタッフの人件費など、お客様がゼロでも発生する「固定費」が非常に重いビジネスです。
ここがポイント!
しかし、裏を返せば、お客様が一人増えた際にかかる「変動費」は比較的少額です。
- 食材費
- アメニティ代
- リネンクリーニング代
- わずかな追加光熱費
これらの変動費を差し引いた「限界利益」は、売上の大部分を占めます。つまり、損益分岐点を超えた後は、売れた1部屋の売上のほとんどがそのまま「純利益」に直結するのです。
1部屋を1,000円高く売ること、あるいは空室を戦略的に1部屋埋めること。その積み重ねが、決算書における利益の桁を一つ変えるほどの威力を持っています。
5. 逃れられない「需要の波」を味方につける
旅館業は、季節、曜日、イベント、天候といった外部要因によって需要が激しく変動します。この波に翻弄され、「忙しいから高い、暇だから安い」という受動的な対応をするのは、本当の経営ではありません。
波を「コントロール」する思考を持ちましょう。
繁忙期:安売りの罠を回避せよ
GWや年末年始、地域の祭りの日。需要が供給(客室数)を圧倒的に上回る「繁忙期」において、よくある失敗は「早くに満室にしてしまうこと」です。
予約開始と同時に安価なプランで埋めてしまうのは、一見安心感がありますが、実は高単価で宿泊してくれたはずのお客様を追い払っているのと同じです。 強気の価格設定を維持し、直前まで「高単価な優良顧客」を待つ。これが繁忙期の勝ち方です。
閑散期:1円でも多くの利益を積み上げる
逆に、需要が落ち込む「閑散期」。 「うちは高級宿だから」と高単価にこだわり、半分以上の部屋を空室にしておくのは経営上の怠慢です。清掃費や食材費などの変動費さえカバーできるのであれば、戦略的なプラン投入や、ターゲットを変えたアプローチによって、1円でも多く利益(貢献利益)を確保する動きが求められます。
6. 解決策:過去のデータは「未来の地図」になる
「長年の勘」や「女将の直感」は、確かに日本の宿文化を支えてきました。しかし、変化の激しい現代において、勘だけに頼るのは「目隠しをして高速道路を走る」ようなものです。
あなたの手元にある予約台帳やPMS(宿泊管理システム)には、経営を劇的に改善するお宝が眠っています。
データの可視化が未来を拓く
- 1.予約のリードタイム:
- 昨年の今頃、いつ予約が入り始めたか? 3ヶ月前か、1ヶ月前か。
- 2.オンハンドデータ:
- 現在、来月・再来月の予約状況はどうなっているか? 昨年比で早いか遅いか。
- 3.実績の分析:
- 昨年、満室になった日の最終的な単価はいくらだったか? もっと上げられたのではないか?
これらを分析することで、「いつ、いくらで売るべきか」という高精度な需要予測が可能になります。データは、あなたの情熱を正解へと導く「最強の武器」なのです。
まとめ:収益管理は、おもてなしを続けるための武器
「利益を追求するなんて、おもてなしの心に反するのではないか」 そんな風に、収益管理に罪悪感を感じる必要は全くありません。
適切な利益を確保できなければ、古くなった設備を修繕することも、一生懸命働いてくれるスタッフの給料を上げることも、地元の旬の食材を仕入れることもできなくなります。
利益とは、お客様に提供する「価値」の対価であり、宿の未来を守るための「体力」です。
収益管理の本質とは、決して「お客様から高く取ること」ではありません。あなたの宿が誇る「おもてなし」を10年、20年、100年と守り続けるための、最も現実的で、最も強力な手段なのです。
今日売れ残った1部屋を、明日の笑顔に変えるために。 まずは今日から、手元の予約台帳を「未来の地図」として眺めてみることから始めてみませんか。




